籐について 

東京籐工芸について

「籐」とは英名ラタンという椰子科のつる性の熱帯植物です。日本では採れない100%輸入材です。一見して竹だと思われる方が多いのですがその性質は全然違うものです。
 その種類は非常に多く太さも約2ミリから6センチ以上にもなるものまで、またその長さは200メートルにも及ぶものがあると言う地球上最長の植物といわれております。
東京籐工芸について

籐材の色

晒(さらし)材 過酸化水素水により漂白したもので濃度により、未晒、半晒、本晒になる。(年数とともに飴色の風合いがでる。)
染め材 主として皮付材を顔料により、高熱で煮込み染めしたもの。  
(多少の変色、色あせは起こるが、風合いの良いものになる。)
着色材 主に油性塗料で塗装をしたもの。
(カラフルで変色は少ないが、自然の風合いに少し欠ける。)
※ 油ヌキ・虫駆除は伐採後、原地でイオウ燻蒸し、3年以上寝かせる。
  又、日本国では籐を食う虫は自生しない。

籐椅子の製造工程

籐椅子の製造工程
工程名 使用する道具・機械名 具体的作業内容
材料選別 ノギス 太さ、色、堅さなどをみて、適材を選別する。
寸法切断 鋸/物差し 用途、大きさに応じて、材料を切断する。
ため直し タメ棒 材料のくせを、テコ・ため棒などでまっすぐにする。
曲げ バーナー/むし釜
曲げ台/型板
火熱や蒸気を使用して製品の形に合わせて、曲げる。
組立 定規・物差し
金槌・鋸・錐
鉈(なた)/切り出し
それぞれの部品をキリで穴をあけ、
クギを打ち組み立てる。
挽き 割り鉈/銑(せん)
ねずみ(割刃)
切り出し 等
ふしとりした丸籐の皮を割りナタではいで、
切り出しで幅を決め挽く。
巻き 鋏・金槌/切り出し
つきべら
エアータッカー
骨組みの接合部を皮籐で巻き補強する。
編み すくいべら/つきベラ
切り出し/金槌・鋏
エアータッカー
座・背もたれ部分を編む。
仕上げ 鋏・ヘラ/切り出し
金槌・刷毛
バーナー・紙やすり
編み目をヘラなどで揃え、骨組みは磨き、
塗装して仕上げる。

籐製品の歴史と沿革

一、戦国時代の武具として

籐は、我が国には遣唐使が初めて伝えたとされている。六国史以下慶応3年までの諸事をまとめた「古事類苑」によれば「塗弓に籐をつかう事」「重籐の事」などの記録があり、戦国武士の弓には籐を用いていることがわかる。また、鎌倉時代(1192年~1333年)以降の武家に関する古書、旧記から採録した「武家名目抄」に武士の装束として滋籐の弓、また弓の製法などが記されている。
籐材料の輸入については、「出島蘭館日誌」の1644年8月30日(正保元年)の項に、バタニ(マレーシア)から1,000束が長崎に入っている記録がある。

二、江戸時代の籐製品の広がり

戦国時代以降江戸時代にも武具の弓、箙(エビラ:矢をおさめる道具)などに籐を巻いて使っている。天保8年から嘉永6年(1838年~1854年)までの風俗を記録した「類聚近世風俗志」では、編笠が日常で用いられたことが記載されている。また、幕府が使用した籠や後期には煙管筒・土瓶釣・花活・枕など日常用いる物が作られ始めた。

三、明治時代は実用品として普及

明治5年(1853年)陸軍省布告の「東京府志料」によると土瓶釣・西洋帽・下駄表・煙管筒・火鉢など、その当時の日常製品が数多く生産されている。
さらに明治10年(1878年)には、東京上野公園で内国勧業博覧会が開催され、その記録に花活・重籐弓・箙・椅子・寝台・敷物などの生活用品がある。
明治12年(1880年)には東京と横浜で共進会が開催され「東京府共進会出品目録」を見ると急須敷・茶盆・敷物・座布団・枕など博覧会と同じく多くの生活用品が出品されている。

四、昭和時代の普及と発展

昭和に入ると生活用品を中心に普及を広め高度成長期には、車のバックレスト、ベビーブーム時には、ゆりかご・子ども椅子・脱衣かごなどその時流の大きな需要を受けた。
昭和の中頃から後期には、我が国経済の安定、物流面の充実の中でインテリア・ファッションとしての人気も高まり、ラタンブームを迎えカルチャー教室なども盛んになるが同時に輸入製品が大幅に普及し国内の職人が著しく減少する。

五、平成から近年

物価の高騰、後継者不足などの問題を抱えたままではあるが天然・自然素材の良さ、品質の確かさが強く求められる中、伝統工芸品としての価値が見直されている。
生活に即した新たな需要を模索しながら今日を迎える。